第11回 測れないことが、理論を形づくった──不確定性原理の本当の立ち位置

測れないことが、理論を形づくった──不確定性原理の本当の立ち位置 量子力学

前回、Bellの定理によって、量子力学が示す相関が、局所的な隠れた変数では説明できないことを見た。だが、なぜそんな相関が現れるのか──その背景には、量子論自体が持つ構造的な制約がある。

その最たるものが、不確定性原理だ。量子力学には、粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることはできない、という特徴的な制約がある。この考え方は、単なる経験則ではなく、量子論の基本的な構造の一部として受け止められてきた。その背景には、観測という行為が系に与える影響や、状態の記述に用いられる理論的な枠組みが関わっている。そうした流れの中で、不確定性原理は「測定できること」と「測定できないこと」を分ける境界として位置づけられてきた。


どこまでなら測れるのか──問いから始まる構造

まず、位置の測定は比較的わかりやすい。たとえば電子を観測したいとき、光子をぶつけて跳ね返ってくる光を検出すれば、おおよその位置がわかる。これは、顕微鏡で見える構造と同じ発想だ。
ところが、運動量を知るにはもう少し複雑な測定が必要になる。ぶつけた光子がどの角度で散乱されて、どのエネルギーで戻ってきたかを細かく解析すれば、そこから粒子の速度や質量の情報が推定できる。だがこのとき、光子をぶつけたこと自体が粒子の運動に影響を与える。
つまり、位置を測るためには強い光(短波長)が必要で、それは粒子に大きな運動量を与えてしまう。一方、運動量を乱さないようにするなら長波長の光を使いたいが、それでは粒子の位置はぼやけてしまう。
こうしたジレンマは観測装置の精度の話ではない。どんなに精密な装置を作っても、この構造は変わらない。観測という行為が系に影響を与える限り、位置と運動量を同時に確定させることはできない。それが確かめられたのは、技術的限界の話ではなく、測定という行為の原理的な構造の理解によってだった。


理論が従った──広がりとしての状態記述

こうして生まれたのが、波動関数という「広がり」として粒子を記述するやり方だった。はじめに理論があって観測を説明したわけではない。観測できる限界を整理した結果、粒子の状態は「確率的な分布」として扱わざるを得なかったのだ。
この波動関数の構造から、位置と運動量の不確定性が式として整理される。それが有名なハイゼンベルクの不等式であり、位置の不確かさ Δx と運動量の不確かさ Δp の積は、ある最小値より小さくできないという形になる。
だがこの不等式もまた、「この値より下は禁じられている」と予言しているのではなく、「これより小さな不確かさで測ろうとした例がないし、構造的に無理がある」という実験的・理論的知見を整理したものにすぎない。


小沢の不等式──「どこまでならいけるか」を押し広げる

不確定性の話はここで終わらない。ハイゼンベルクの不等式は「状態がどれだけぼやけているか」についての記述だったが、実際の測定において「どこまで正確に測れるのか」は、もう少し突き詰めて考える必要がある。
この方向から研究を進めたのが、小沢正直による「測定誤差と摂動」の不等式だ。これは、「位置の測定にどれだけの誤差が含まれ」「運動量をどれだけ乱してしまうか」という測定行為そのものを定式化したものだった。
つまり、小沢の不等式はこう問うている:
「粒子の状態がどうなっているか」ではなく、
「私たちがその粒子をどう測れるか」を、より具体的に書き下そう。
このアプローチは、量子力学が単なる抽象理論ではなく、「現実にどう観測できるか」に根ざした枠組みであることを改めて明確にした。測れないという事実を起点として、測れる範囲を最大限広げる方向に、理論が歩みを進めているのだ。
小沢の不等式もまた、量子力学という前提のもとで、限界がどこまで詰められるかを探った成果であり、その枠内で記述できる精度の到達点を示しているだけだ。


不確定性原理は「未来永劫破れない」のか?

では、この原理は絶対に破れないのだろうか。将来、位置と運動量を同時に測れるような新しい観測技術が登場すれば、不確定性原理は否定されるのだろうか。
答えは、量子力学という理論の内部で波動関数を使って記述するかぎり、不確定性原理は破れようがない、ということになる。波動関数の構造が、位置と運動量のあいだにどうしてもトレードオフを生むようにできているからだ。
だが、それは「物理的に絶対測定不可能であること」が証明されたわけではない。量子力学の枠内では、観測による影響や測定誤差をいくら工夫しても、ある限界は超えられない。しかしそれは、「自然界そのものが観測を拒んでいる」と言っているのではなく、「現行理論ではそこまでしか記述できない」という立場にとどまっている。
したがって、将来もし測定技術が革新されて、量子力学の予想を超える観測結果が得られたとすれば、それは不確定性原理の否定ではなく、量子力学という理論の適用範囲が再検討されることを意味する。小沢の不等式もまた、量子力学という前提のもとで、限界がどこまで詰められるかを探った成果であり、その枠内で記述できる精度の到達点を示しているだけだ。
だからこそ、不確定性原理は「世界の真理」として未来永劫に君臨するのではなく、「波動関数を用いて自然を記述する理論体系における論理的限界」として理解されるべきものだ。そして今のところ、現実に観測された事実は、その限界を一貫して支持している。

次回

不確定性原理は、観測できる限界を理論がどう受け止め、どこまで記述可能かを示す枠組みにすぎない。では、その理論の枠の中で、観測とはいったい何なのか──「観測によって状態が変わる」とは、どういう意味なのか。

次回は、こうした問いに対して量子力学がどのように答えようとしてきたのか、「解釈」の問題を見ていこう。

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