第11回 測れないことが、理論を形づくった──不確定性原理の本当の立ち位置

測れないことが、理論を形づくった──不確定性原理の本当の立ち位置 量子力学

量子力学には、粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることはできない、という特徴的な制約がある。この考え方は、単なる経験則ではなく、量子論の基本的な構造の一部として受け止められてきた。その背景には、観測という行為が系に与える影響や、状態の記述に用いられる理論的な枠組みが関わっている。そうした流れの中で、不確定性原理は「測定できること」と「測定できないこと」を分ける境界として位置づけられてきた。


どこまでなら測れるのか──問いから始まる構造

まず、位置の測定は比較的わかりやすい。たとえば電子を観測したいとき、光子をぶつけて跳ね返ってくる光を検出すれば、おおよその位置がわかる。これは、顕微鏡で見える構造と同じ発想だ。

ところが、運動量を知るにはもう少し複雑な測定が必要になる。ぶつけた光子がどの角度で散乱されて、どのエネルギーで戻ってきたかを細かく解析すれば、そこから粒子の速度や質量の情報が推定できる。だがこのとき、光子をぶつけたこと自体が粒子の運動に影響を与える。

つまり、位置を測るためには強い光(短波長)が必要で、それは粒子に大きな運動量を与えてしまう。一方、運動量を乱さないようにするなら長波長の光を使いたいが、それでは粒子の位置はぼやけてしまう。

こうしたジレンマは観測装置の精度の話ではない。どんなに精密な装置を作っても、この構造は変わらない。観測という行為が系に影響を与える限り、位置と運動量を同時に確定させることはできない。それが確かめられたのは、技術的限界の話ではなく、測定という行為の原理的な構造の理解によってだった。


「測れば乱す」という直感──しかし、それはまだ定式化されていなかった

こうした測定のジレンマを最初に強く意識したのは、ヴェルナー・ハイゼンベルクだった。1927年、彼は「位置を精密に測ろうとすると、その影響で運動量が乱れる」という直感的な説明を提示した。測定そのものが、対象の状態を変えてしまう。量子世界において観測は中立的ではない──という考え方の萌芽は、このときすでにあった。

だがここで重要なのは、ハイゼンベルクが語ったこの関係が、当時の段階ではまだ理論的に明確な定式化を持たなかったという点だ。後になって有名になった Δx·Δp ≥ ℏ/2 という式は、実際には量子状態の揺らぎに関する不等式であり、測定誤差や観測による摂動を直接扱うものではない。

それにもかかわらず、この数式は「観測すれば乱れる」というイメージと結びついて広まり、あたかも測定行為そのものの限界を定めているかのように受け取られるようになった。これは、理論上の意味と直感的な解釈がすれ違った典型的な例だ。


小沢の不等式──測定そのものを定式化する

この混同に対して、測定という行為そのものを理論的に定式化し直したのが、小沢正直による仕事だった。彼は「測定誤差」と「測定による摂動」を、それぞれ明確に定義し、それらの関係に成り立つべき不等式を導出した。これが、いわゆる小沢の不等式である。

この不等式は、ハイゼンベルクが語った直感──測れば乱れる──を真正面から問い直すものであり、さらに驚くべきことに、従来信じられていた「誤差 × 摂動 ≥ ℏ/2」型の関係は、成り立たないこともあると示した。

この主張は、2012年にウィーン工科大学のErhartらによって行われた中性子干渉計を用いた実験によって、直接的に裏付けられた。実際の測定では、誤差と摂動の積が ℏ/2 を下回るケースが観測され、ハイゼンベルク型の不等式は破れていた。一方、小沢の不等式はすべてのケースで正確に成立していた。

つまり、小沢の不等式は単なる理論的提案ではなく、実際に「どこまで測れるか」を正しく記述するものとして、実験によって確認された。測定行為の構造に理論がどう応答するべきか──その問いに対する、初めて明確な答えだった。


測定できる範囲は、量子力学の枠内での限界にすぎない

小沢の不等式が示しているのは、量子力学という理論の内部で、測定による誤差と摂動に関してどこまでが許されるかという限界だ。それは、自然界そのものが「それ以上は測るな」と命じているわけではない。

観測による影響や、測定誤差をどれだけ工夫しても、ある範囲を超えることができない──そのことを、小沢の不等式はきちんと示している。ただし、それはあくまで「波動関数によって記述される量子力学」の内部での話であって、「物理的に絶対に不可能であること」が証明されたわけではない。

だからこそ、もし将来、測定による誤差や摂動を、現在の理論が想定している限界よりもさらに小さく抑えられるような手法が実現されたなら、それは不確定性原理の否定ではなく、量子力学という理論が前提としていた測定の構造そのものを見直す必要があるということになる。

不確定性原理は、「未来永劫破れない世界の真理」ではない。「測定できること」と「測定できないこと」の境界を、理論の構造として整理した結果にすぎない。
そして今のところ、現実に観測された事実は、その境界の内側にすべて収まっている。

次回

不確定性原理は、観測できる限界を理論がどう受け止め、どこまで記述可能かを示す枠組みにすぎない。では、その理論の枠の中で、観測とはいったい何なのか──「観測によって状態が変わる」とは、どういう意味なのか。

次回は、こうした問いに対して量子力学がどのように答えようとしてきたのか、「解釈」の問題を見ていこう。

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